昭和50年02月12日 朝の御理解
御理解 第17節
「神の綱が切れたと言うが、神は切らぬ、氏子から切るな。」
親先生が亡くなられて今日が五日になるので御座いますけれども、毎日殆ど終日あちらに詰めておりますので、昨日当たりは少し、何かみように疲れを感じました。夕べ遅う秋永先生が、私が帰りますのとすれ合い位であちらへ行って、そして私があそこもああしたい、此処もこうしたいと思うておった所を、やっぱり同じ様に気が付いたらしくて。それはまだこちらから御用に行っておった四、五人の青年の方達は、行って居りましたから、方を使って色々手直しをして帰って来たと言うのが。
もう九時頃御祈念が済んでからで御座いましたでしょうが。そう感じなかったんですけど、あヽ私は疲れとるなあと自分で思ったんですけど。昨日当たりは言うなら、式場が準備が大体滞りなく大体終わった形で御座いましたけど、非常に手が揃いましてから、本当に合楽から沢山御用に行って頂いて、本当に有難い事でしたが、もうー私はお広前に坐っとるだけで御座いますけれども、まあ言う一々神餞お供え付けの方でも、からでもお伺いに来る。足らなければ買わなきゃならない。
庶務の方でも、此処はどう書いたら良いだろうかと、言った様なことを聞きに来る。祭場係りもどうしたら良いか、あヽしたら良いかと言うて、一々指図を仰ぎに来る訳です。ですからもう私のそのー神情と人情とを、一遍に使わして貰わんならんと言う感じで御座いましたからやっぱり疲れた、けどおかげでスムーズにおかげを頂きました。今日の御理解を頂いて見て、是は本当に私と三井教会こそ、本当に神の綱が切れたと言うが、と言うのかと、あわやと思う様な場合も何回もあったんですけれども。
おかげで細々ながら繋がって、今日おかげを頂いとります。それも私と親先生の所謂考え方の相違と言うか、私がもう二十数年前に、私の大坪家の家紋は梅鉢の紋です。それを神様はこの枠を取れとこう言われる。でないと此の丸い輪を取らなければね、大きくなれないと枠があったらと頂いて、私は以来私の紋は全部この梅鉢ではなくて、梅の紋に致しました。是が家紋になっておる様な感じであります今は。
そう言うお知らせを頂いとりますから、私がその三井教会の枠の中で、おった時には、もう本当に最高の親先生であり、又は最高の信者と、まあ思うて頂いておったと言う時代もあったんですけれども、この枠を取らせて頂いた頃から、私が今度はみ出して行ったものですから、事々にそれこそ親先生が赤と思うて居られると、私が白と思うておると言った様な。親先生が天と言って御座れば、私が地と言っている様な事でその、結局は紅白に継ながり、天地の継ながりと言う物はあるのですけれども。
継ながって居ない様な感じ、あそこに五年間と言う、疎縁の言うならば縁の切れたかの様な時代があったけれども、私が毎日お日届けだけはさせて頂きましたから。もうそれこそ五年間のお日届けが、丁度大洪水のあった時、もう親教会の何も彼もが、畳も何も腐ってしまった時に、五年間のそのお初穂もこう言う時にこそと思うて、当時の久保山先生、私はその時分は門外不出でしたから、出られませんのでお見舞いを兼ねてやらせて頂きました。もうそれこそけんもほろろに、断られましてね。
そして持って帰って来ると言った一幕もあった位です。それでも五十年祭の記念祭を仕へられる頃には、おかげ頂いてまあ当時としては、私も思う存分の御用をさせて頂けたのも、その当時の椛目は細々としたことでしたけれども、その五年間のお初穂を貯めておって、お初穂としては受け取れないから、祭典費とさせて頂いたので、まあ当時としては思う存分の御用が出来るおかげを頂きました。
そう言う様な事で細々ながら継ながっては参りましたけれども、今日も私はその事をつらつらづっと、こう思うて見よりましたら、私と親先生の仲は丁度私の方の若先生の家内のお父さん、東京の銀座のもう生粋の江戸っ子なのです。そのお父さんと私が会話をしている所を頂くんです。あちらのお父さんが言われるそうです、もう合楽のお父さんが言うことは一ちょうん俺には解らんち、私は筑後弁の丸出しでやるでしょ。又私はあちらのお父さんと話よりますともう本当半分も聞き取れない位です。
それこそ純粋の江戸っ子弁であんなさいますからね。同じ日本語でありながら、意志は通じない訳です。そう言うもどかしさが、私と親先生の仲にあった。然も私がもう只、神情一筋で行くのに、もう三井教会がもう、徹頭徹尾人情で行かれる教会ですが、その人情と神情の所が交流しない。だからあちらに参りますと、昨日でもそうであります様に、もう人情と神情と使い分けての御用ですから、矢張り疲れる訳です。
まあ愈々今日は告別式で、沢山な人が会葬して下さるだろうとこう思います。今日もまた随分と人情を使います。是はあのう人情と言うても最高の人情を使いますと、神情に継ながる訳ですけれども、私はどっちかと言うと何時も神乍ら主義の行き方なもんですから、日頃はそれで良いのですけれども、此処でおればそれでなからなければむしろいかんのですけれども、三井教会に参りますとそう言う訳にはまいりません。
今日がその言うならば仕上げの様な、まっ密葬も滯りなく終わって、今日が愈々告別式、所謂葬儀全般が今日の告別式に依って、終わる訳で御座います。皆さんもどうぞそう言う積りで沢山一つ御会葬頂きたいと、まあ思うのですが私共が本当に、神の綱が切れたかと思う様な時も御座います。神も仏もあるものかと、思う様な事も御座いますけれども。そう言う時を愈々大事にして行かなければ、誰も知らん誰が何と言うても、言うならばその縁をこちらから切らねば、切れるものではないのですから。
私が三井教会との間に、例えば五年間もう殆ど断絶になっておった時代もありましたけれども、細々ながら、私の日々のお日届けの事で、切れずに済んであったと言う様な感じで御座いました。これはお互いの人間関係と言った様な場合であっても、今申します様に、それこそ東京弁と筑後弁でおんなし事を言い乍ら、例えば同んなし事を思いながら意志が交流しない通じない為に、断絶になりかける様な人間関係と、言った様な場合も御座いましょうけれども、そう言う仲にありましてもです。
一つ本当に私共が真心と言うか、その思いを貫かせて頂く心と言うか、精神が信心には必要でありますが、往々にしてそれで断絶になったり、切れたりする人も沢山ある位であります。それでは愈々相済まん事になります。神からは氏子が縁が切れたと言うけれども、神からは切らん、と仰せられるその信念の綱を外す事なしに、愈々おがげを頂いて行かねばならんと思います。本日はまた皆さま宜敷くお願いします。
どうぞ。